鰻の養殖の始まり:明治時代からはじまった養鰻業
江戸時代には、江戸前鰻と呼ばれる天然の鰻が深川や隅田川などで獲ることができ、高級食材として人気がありました。鰻は育てるものというよりも、成魚を獲って調理する食材だったのです。
しかし、時代が移り変わるにつれて都市化や水質汚染などが進むと、天然の鰻の資源は減少しました。そこで、鰻の需要に応えるために、養殖技術が発展したのです。最初に鰻の養殖を始めたのは、服部倉次郎という人物です。倉次郎は1879年(明治12年)、東京・深川の千田新田で2ヘクタールの養殖池を作りました。彼はシラスウナギを入手するために、日本各地や台湾などに出向き、鰻の養殖に成功します。倉次郎の成功に刺激され、多くの人が鰻の養殖に参入したことで、本格的に鰻の養殖業が広まっていきます。
現代の養殖技術と課題
戦後の高度経済成長期になると、鰻は栄養価が高く、疲労回復や夏バテ防止に効果的な食材として人気が高まりました。しかし、天然のシラスウナギの漁獲量は年々減少し、価格も高騰する一方。そのため、養殖業者はより安定した生産体制を確立するために、様々な方策を講じはじめました。
その一つが、シラスウナギの輸入です。日本では、1960年代から台湾や中国からシラスウナギを輸入するようになりました。これにより、国内のシラスウナギの不足を補うことができ、また輸入したシラスウナギは国産よりも安価だったため、鰻の生産コストを下げることもできました。
もう一つが、養殖池の改良です。近年になりコンクリート製・ビニール製の水槽や循環ろ過装置などが導入されたことで水質管理や衛生管理が向上し、鰻の病気や死亡率の低減、成長促進などが実現します。また水温調節や人工光照などにより、季節や気候に左右されずに一年中養殖することもできるようになりました。
こうして、高度経済成長期から日本では鰻の養殖技術が大きく進歩しました。ところが、現在では新たな課題が浮かび上がっています。未来への一歩:次世代養殖技術の展望
鰻の養殖技術は高度経済成長期から大きく進歩しましたが、現在では新たな課題が浮かび上がっています。それが、鰻の絶滅の危機です。鰻の漁獲量が減少したというだけでなく、世界における鰻の個体数自体が減少していると指摘されたのです。2014年、国際自然保護連合 (IUCN) によって絶滅危惧種の指定を受けたことで、シラスウナギの輸出規制や池入れ量の制限が掛けられるようになりました。
この課題を解決するためには、鰻の完全人工種苗化が必要です。完全人工種苗化とは、人工的に鰻の産卵と孵化を行い、シラスウナギを育成することです。これにより、天然資源に依存せずに安定した鰻の生産が可能になります。ところが、完全人工種苗化は非常に難しい技術であり、現在でも多くの課題があります。例えば、孵化した仔魚は非常に小さくてデリケートであり、特殊な餌や水質管理が必要です。さらに、孵化した状態からシラスウナギまで育てるには数年もの時間がかかります。
完全人工種苗化に向けては、国内外で様々な研究や試みが行われています。日本では、農林水産省や水産研究・教育機構などが中心となって研究を進めており、2019年には世界初となブリ養殖の完全人工種苗化の成功を報告しました。海外では、ノルウェーやオランダなどでクロマグロやハマチなどの完全人工種苗化に関する研究や事業化が進められています。これらの研究や試みは、鰻にも応用できる可能性があります。
鰻は日本の伝統的な食文化であり、多くの人々に愛されてきました。その魅力を次世代にも引き継ぐためには、持続可能な鰻の養殖を目指すことが必要です。鹿児島鰻では、そのための技術開発と環境保全に向けて、今後も全力を尽くして参ります。