うなぎがシラスウナギから蒲焼きになるまで

うなぎが食べられるまでの道のり

土用の丑の日はもちろん、日本中で愛されている、うなぎの蒲焼き。

しかし、蒲焼きのうなぎがどのような道のりで私たちの食卓までたどり着くのか、ご存知ない方も多いのではないでしょうか。

今回はうなぎがどのようにして採られ、育てられ、そして出荷されるのか。うなぎ屋さんで調理されるまでの一連の流れをご紹介します。

うなぎは稚魚を採捕して育てる養殖漁業

現在、私たちが食べているうなぎの99%は養殖のうなぎです。稚魚であるシラスウナギを河口で採捕して、飲食店で提供できるサイズになるまで養鰻場で育てています。

シラスウナギの採捕が行われるのは、冬の夜の間だけ。河口付近には、シラスウナギを誘うために照明をかざしたボートや明かりをつけた漁師さんが集まります。その様子は遠目で見ているとどこか幻想的で、毎年の風物詩となっているところも。

徳島県吉野川のシラスウナギ漁では、川面を照らす照明の様子が美しく「とくしま市民遺産」に選定されています。ちなみに、鹿児島県のシラスウナギ採捕は、満潮の前後に網を使って河口にて採るのが一般的です。人によっては、干潮時に採る方もいらっしゃいます。

採捕の段階から美しい光景が見られるシラスウナギですが、「白いダイヤ」と呼ばれるだけあって、その希少さは天井知らず。不法にシラスウナギを輸入したり漁をしたりする業者が後を絶ちませんでした。シラスウナギ漁は許可を受けた漁業者でないと行えず、勝手に採って売ってしまうと罰則を受けてしまいます。2020年12月には密猟者の罰則が強化され、アワビ、ナマコとともに罰金上限が300倍の3000万円まで引き上げられました。
※シラスウナギについては猶予期間が設定されています。

うなぎ養殖で最大の難しさは、エサの問題

採ったばかりのシラスウナギは、爪楊枝くらいの細長く、透明で小さな稚魚です。もちろん、とても食べられる大きさではないので養鰻場で育てなければなりません。そこで出てくるのが、「うなぎのエサは何を食べさせたらよいのか」という問題です。

うなぎの養殖自体は約150年の歴史があります。しかし、未だにその生態は謎だらけというのが実情です。というのも、うなぎがどこで生まれ、どこから来て、何を食べているのかということも、最近になって研究が進み、少しずつ予想ができるようになってきたばかりだからです。うなぎは世界中を回遊している魚のため、その全貌を掴むことはとても難しいのです。

完全養殖の最大の障害とされていた、天然ウナギの孵化(ふか)した幼生の「エサが謎」という問題。しかし近年、どうやら動植物プランクトンの死骸を中心としたマリンスノーをエサにしていることが分かり、人工的にエサを作ることができるようになってきました。

最近では、養鰻(ようまん、うなぎを養殖すること)という言葉も少しずつ広まってきて、養殖業者である鹿児島鰻にとっては嬉しい限りです。そして、うなぎを愛する方々にもっと広く認知されていってくれたらと思います。

出荷したうなぎの鮮度の維持や調理技術も重要

養鰻場から出荷されるうなぎはポリ袋に入れられて酸素を注入、活きた状態で運ばれます。ちなみに鹿児島鰻が経営する福岡市のうなぎ専門店「うなぎ仁」では、鹿児島の養鰻場で池上げされたばかりのうなぎをお店まで毎日直送。料理人は、活きたうなぎを手早く捌きます。

また、うなぎの業界には「裂き3年、串打ち8年、焼き一生」という言葉があります。これは、活きたうなぎを正確に捌けるまでに3年。皮と身の間を縫うように刺す串打ち技術を身につけるまでに8年。そして、均等に火を通す焼き加減は最も難しく、生涯を通して習得していく必要があるとされ、うなぎ調理の難しさを表しています。

職人の技術は一朝一夕に習得できるものではありません。そのため、前述した「うなぎ仁」でも料理人の育成には力を注いでいます。ベテランの料理人がその調理技術を丁寧に教え、若い料理人たちに伝えていくことで、うなぎの食文化を引き継ぐ次世代の後継者を育てています。

このように長い道のりを経て、うなぎ屋さんや加工場へ新鮮なうなぎが届けられ、皆さんの食生活を豊かにしています。

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    出荷できる状態まで、1尾1尾じっくり育てます
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    裂き3年、串打ち8年、焼き一生。見事な職人技です。