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服部倉治郎と中村正輔:すっぽんとうなぎの養殖文化を築いた二人

■鰻とすっぽんの発症の地、浜名湖

静岡県浜松市にある浜名湖は、鰻とすっぽんの養殖発祥の地として知られています。 その養殖の歴史を遡ると、およそ120年以上前、服部倉治郎と中村正輔という二人の男の出会いから始まります。 今回は、いかにして鰻の養殖が始まったのかについて、解説していきます。

■服部倉治郎と中村正輔の出会い

明治30年(1897年)、当時44歳の服部倉治郎は東京・深川で養魚会社を経営しながら、川魚の生態研究に情熱を注いでいました。特に鰻ではなくすっぽんに興味を持ち、その飼育研究に没頭していたと言われています。 一方、当時21歳の中村正輔は、源氏の血を継ぐ武士の子孫として由緒ある家系に生まれ、現在の浜松市西区を治める中村家の第30代当主となっていました。 二人の出会いは、倉治郎が関西方面への商用旅行中に訪れた浜名湖でした。 倉治郎は温暖な気候と江戸の深川に似ている浜名湖の環境に、すっぽん養殖の可能性を見出します。そして当時愛知県立水産試験場にて勤務していた中村正輔に助言を受けるように言われ、愛知に向かいます。 こうして中村正輔を尋ねた倉治郎は、中村と共同でスッポン養殖事業を行なうことになり、浜松市の土地を購入しスッポン養殖のための養殖池を作るに至るのです。

■養殖のはじまり

明治33年(1900年)、服部倉治郎と中村正輔の二人によって「服部中村養鼈場」が設立されます。養鼈場(ようべつじょう)、つまりすっぽん専用の養殖場です。ここから浜名湖での本格的なすっぽん養殖が始まりました。 しかし、当時のすっぽん市場は小さく、事業は容易ではありませんでした。そこで倉治郎は、すっぽんと並行してうなぎの養殖を行うことにします。 幸い、浜名湖はうなぎ養殖にも適した環境でした。温暖な気候、豊富な水、鰻の稚魚であるシラスウナギの入手の容易さ、さらに東京・大阪へのアクセスという利便性も相まり、うなぎ養殖はすっぽんよりも大きく発展していきました。こうして、服部倉治郎と中村正輔の二人は、鰻そしてすっぽんの養殖の父として、歴史に名を残していきます。

■そして全国に広まっていく鰻養殖の技術

服部倉治郎と中村正輔、二人の尽力により、浜名湖は今でも「浜名湖うなぎ」や「浜名湖すっぽん」として、全国にその名を轟かせるブランド産地へと成長しました。 また二人の尽力により、日本のすっぽんと鰻の養殖文化は大きく進み、鹿児島や宮崎など、全国にも鰻養殖場が広まっていったのです。なお現在も浜松市には「服部中村養鼈場」として、伝統を守りながら質の高いすっぽんを生産し続けている養殖場があります。 今回は、すっぽんとうなぎの養殖文化を築いた服部倉治郎と中村正輔について解説しました。鰻の歴史を感じながら、ぜひ当養鰻場の鰻も食べてみてくださいね。
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    鰻の養殖のはじまりは浜名湖から。
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    鹿児島鰻では、すっぽんの養殖と販売も行っています。ぜひ一度ご賞味ください。